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東日本大震災後の避難所と仮設住宅の居住性
人間環境システム専攻(教授) 大野隆造
災害の被災者の一時的に身を寄せる場所として、避難所と仮設住宅の居住性を考えてみる。どうせ一時的なのだから、居住性は論じるに足りない問題だと考えられるかも知れないが、とんでもない。多くのものを失い悲しみの淵にある被災者にとって、生活の基盤である住まいの環境は非常に重要である。住宅は、単なるシェルターとして雨露がしのげればよいものではない。それは、家族の安全とプライバシーを守るテリトリーを画す拠点であり、そこを起点として職場や学校や買い物に出かけ、また帰ってくる場所である。我々の生活は、そういったさまざまな場所とのつながりの中で成り立っている。したがって、そういった場所へのアクセスが困難な場所に仮設住宅を建てても「住まい」としては機能しない。そこへの入居が敬遠され、空き家になってしまうのは当然のことと言える。
本年4月末に訪れた大船渡の避難所では、海外からの寄付で届いたテントが避難した家族のプライバシーを守るために設置されていた。しかし高齢者世帯の多くのは周りとの繋がりやコミュニケーションを望み、テントではなく低い衝立を希望した。それぞれの望むプライバシーのレベルに違いがあることがわかる。
7月にオープンしたばかりの遠野市の仮設住宅は、間伐材利用の地場の集成材パネルによる木造である。従来、日当たりを平等にするため平行配置では北入り玄関としていたが、ここでは住民同士の出会いと交流機会を増やすために木製デッキを挟んで玄関が向き合う配置になっている。釜石市平田の仮設団地にも、木製のデッキが有るタイプがあるが、無いタイプもあり、それらを比較すると、有る方が明らかに快適そうである。これから冬に向かって、この空間の作られ方が実際の住民同士の交流にどう影響するか興味深い。
陸前高田のオートキャンプ場に作られた木造仮設住宅は周囲の緑の環境に調和した姿を見せ、とても仮設団地とは思えない景観であった。
宮古市田老地区の仮設団地では、玄関前に車がとめてあった。車がその家のテリトリーをマークすることで、玄関先を歩く人との間に緩衝地帯となっていた。
大津波の被害を受けた地域の復興計画で、集落の高台移転が議論されている。高台移転の成功例としてよく引き合いに出される、大船渡市三陸町吉浜地区は1896年の明治三陸大津波で住民約2割にあたる204人が犠牲になり、当時の村長が私財を投じて高台移転を推進したという。今回の津波で行方不明者1人、倒壊・流出家屋4棟と被害を最小限にとどめることができた。
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テントを体育館の中に設置した避難所/大船渡中学校 | |
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玄関が向き合う配置とし、デッキを設けた木造仮設住宅/遠野市 | |
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木製のデッキの有無でずいぶん異なる隙間の空間/釜石市平田 | |
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木製仮設住宅団地/陸前高田 | 玄関前の駐車/宮古市田老地区 |
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左奥の湾から右に広がる緑の農地は移転前に集落があったところ。 手前の住宅は海抜約20mの県道より高い位置にある/吉浜地区 |