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 ■ 災害と日本人の意識・行動

東京工業大学総合理工学研究科
人間環境システム専攻(教授) 
大野 隆造

 1995年1月17日午前5時47分。この分単位まで多くの日本人の記憶に留められている時刻は他にないだろう。それほど地震という出来事は、ある一瞬の前と後をきっぱりと分けてしまう。地震発生時刻で止まった時計が震災地の様子を伝える映像として映されることがあるが、それが見る人の心をとらえるのは地震発生直後に犠牲となった人々を象徴しているからだろう。しかし、その時刻は非常に多くの被災者にとって終わりを示しているのではなく、むしろそれまでとは全く異なる生活が始まった時点を示している。実は私自身、冒頭の時刻に揺れの激しかった神戸市東灘区に身を置いて、それ以前とそれ以後の街の変容と人々の生活の急激な変化を目の当たりにした。それまでに営々として築いてきた物的・人的な財産を文字通り一瞬にして失い、それを受け入れて生きてゆかねばならない多くの被災者たちは、それでも不思議なほど落ち着いて行動していたのが印象的であった。

  かつて「火事と喧嘩は江戸の華」などと言われた。都市の防災対策が一向に進まない事態に対するやけっぱちな開き直りとも聞こえるが、災害に対する日本人の意識を表しているとも言える。都市火災だけでなく、さまざまな災害が頻発する日本では、いつかは自分も災害に見舞われる可能性があることは誰もが感じている。しかし、このいつ起きるかわからない重大事についてあまり正面から向き合って考えようとしない。加藤周一は『日本文化における時間と空間』(岩波書店)で、日本人の<今=ここ>の意識が強いことを指摘している。「過去は水に流す」し、「明日は明日の風が吹く」として、過去や未来ではなく現在の状況に注意を集中し、それに対して柔軟な適応能力を発揮する。欧米のように先を見通した長期のグランドデザインは苦手であるが、状況に応じてうまく対処してゆくことには長けている。大戦後の驚異的な復興や神戸大震災後の住民が示した適切な対応はその証であるとする。これは、さまざまな災害を受けてきた我々の先祖が日本文化の一部として定着させてきた行動様式なのかもしれない。とすれば、長い時間をかけて計画的に災害に強い生活環境に改造しようとする取り組みがなかなか進まないのは、この日本人の気質も一因と言えそうである。

  2006年5月に発生したジャワ島中部地震の後、20日目に被災地調査に入った(CUEE Newsletter No.5参照)。そこで見たものは、あまりにも脆弱な構造の建築の悲惨な姿であったが、それと大きなコントラストを示していたのが、被災住民の明るい表情であった。いわゆる被災直後のユートピア的心理と見るには時間が経ち過ぎていたので、それでないのは明らかである。何の前ぶれもなく調査に訪れた私たちにも親切に接し、インタビューにも丁寧に答えてくれた。いわゆる「ゴトン・ロヨン」(相互扶助)や「ケケルアルガン」(コミュニティの仲間に対する家族愛的な意識)はジャワ島の文化の一つの重要なコンセプトと言われているが、それがこの災害に臨んで平常時以上に発揮され、円滑な物資供給や住宅再建などコミュニティの復興に重要な役割を果たしていた。物理的な構築環境の脆弱さを補う事後の強い復興力を見た思いであった。

 日本人が<今=ここ>での対応力に優れているとすれば、計画的な防災環境の整備が進まないことを嘆くことより、災害発生後の復興力を高めることの方が受け入れやすいかも知れない。ジャワ島の住民が示したような強力なコミュニティの復興力は日本にもかつてあったし、今も潜在的に持っているはずである。神戸での壮大な実験では、それがある程度機能することが示された。しかし、住民同士の日常的な交流が希薄になっている大都市での災害時に活性化され有効に働くのだろうか。首都圏直下地震の驚くべき被害想定の数字を示しながら一向に進まない事前の防災計画に頼らず、住民自身による事後に活用可能なネットワーク作りが大切ではないかと思う。



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