English Sitemap
Home
Cuee
People
Research
Education
Events
Outreach
Publication
Partnerships
Openings
Link
Internal

 ■ 2005年3月20日福岡県西方沖地震の被害について

人間環境システム専攻(教授) 瀬尾 和大

1.はじめに

 福岡県西方沖地震の発生は2005月3月20日すなわち日曜日の午前11時頃,第一報がテレビのニュース速報として伝えられた.通常ならば気象庁やK-Netなどの地震情報と交通事情を確認し,関連資料を携えて調査に出発するところであるが,この時ばかりは即座に自宅を飛び出し,地震から1時間後には羽田行きのバスに乗っていた.これには大変身勝手な理由があって,自分が少年時代を過ごしてきた百道(ももち)という極めてローカルな土地が被災地としてクローズアップされたことと併せて,次のような背景があったからであった.

 福岡市は,古くから大陸との交流拠点・大宰府への玄関口として発展を遂げ,その後,商業都市としての博多と,城下町としての福岡がほどよく混合されて独特の文化都市を形成している.台風などによる局部的な水害と夏季の渇水の問題を別にすれば,自然災害に痛めつけられることの少ない大変住みやすい地方中枢都市である.

 地震活動度は全国でも最も低い地域に分類されており,実際,非常に長い歴史の中で被害地震の経験は殆ど知られていない.最近になって警固断層の存在が指摘されるようになってからも,地震災害が発生するなど考えも及ばなかったので,この数10年間で福岡市は,人口増加と地域開発とを繰り返してきた.その結果,それまで50万から60万人程度で定着していた人口は,一挙に130万人に膨れあがり,博多湾の海岸線は原型を留めないほど開発され,神戸市の新空港建設を含めた臨海部開発との類似点を感じない訳にはゆかなかった.

 このような福岡市の急変ぶりは外部から見ていると非常によく判り,それは自然災害に対する都市の脆弱化が急ピッチで進行している状況そのものであった.このような事情から,今回の地震災害の状況は何としても自分自身の目で確認しておきたかった.それで何の準備もなしに飛び出したような次第である.

図1 本震と余震の震央分布(気象庁報道資料による)
表1 福岡市内の人的・物的被害と避難状況

2. 地震の概要

 気象庁によれば,地震の発生は3月20日10時53分であり,マグニチュードは7.0,震源深さは9kmと浅く,大きな余震が極めて少ない点が新潟中越地震と比べて対照的であった.当初は福岡県西方沖との呼称のために震源の場所がよくイメージできなかったが,要するに福岡市北西沖の地震であって,震源の位置は福岡市街地から約25km,玄界島からは僅か8kmの距離でしかなかった.本震とその後の余震の発生状況は図1のごとくであり,震源域が次第に南東方向,すなわち福岡市街地の方向に伸びていることが非常に不気味であった.福岡市の震度は6弱と報じられたが,そもそも福岡市内にそれほど多くの地震観測点が分布している訳ではなく,玄界島には観測点は設置されていなかった.(これらの情報は後日,新聞報道やウェブサイトで知り得たことである.)

3.福岡市内の被害概要

 福岡市災害対策本部は地震発生から30分弱で立ち上げられている.活動は津波対応に始まり,津波注意報が解除されてからは,玄界島の状況把握と当日夕刻からの全島民(玄界島は福岡市西区に所属している)の島外避難に全力が注がれている.同対策本部による福岡市内の被害統計は,地震の翌々日早朝の時点で表1に示すようにまとめられている.

4.地震直後の初動調査

 上記の情報も後日入手できたもので,実際には出発前のニュース速報と,その後は現地でのテレビニュース・新聞記事を頼りに,いくつかの地域に的を絞って歩いてみた.福岡空港に到着したのは午後4時であり,地下鉄など市内の交通機関はちょうど動き始めたところであった.正しくは,それまで全ての交通機関が停止していたことは駅の改札口の張り紙を見て知った.

1) 百道浜の液状化と福岡ビルの被害            

写真1 百道浜の開発と液状化被害 

 現地到着後は直ちに百道浜の液状化と福岡ビルの窓ガラス崩落の様子を確認した.いずれも地震直後のニュース速報で報じられていたものである.

 百道浜は図2に示すように,最近の約20年間に急速に開発された埋立地であり,福岡ドーム(現在はヤフードーム)・海浜リゾート施設・博物館等の文化施設・高層マンションと戸建住宅群がすでに立地している.今回の地震では液状化災害が最も心配された地域であるが,海岸付近や駐車場などオープンスペースに噴砂が見られたこと,一部の配管施設や道路に噴砂に伴う変形やずれが生じたことを除けば,大きな問題となるような被害は発生しなかった.また図2の旧海岸線よりも内陸側では被害らしい被害を見ることは全くなかった.

 一方,福岡市中心部の天神地区に位置する福岡ビル(10階建て事務所・店舗ビル)では,地震と同時に道路に面した外壁の窓ガラスが飛散落下したことで注目された.わずか2名の負傷者(西日本新聞3/21による)に止まったのは地震の発生が偶々休日の午前中であったという偶然に過ぎず,平日の通勤時間帯や休日の午後であれば大惨事になるところであった.被害の原因はビル建設当時の古い基準であったために,構造本体の変形に窓ガラスが追随できなかったことにあり,地震災害に対して全く無防備であったと云わざるを得ない.以前からの防災対策上の課題がまた一つ露見した訳であるが,その後の対応は迅速で,地震当日の夕刻には落下したガラス片の後片付けが始まり,外壁には防御ネットが張り巡らされた.そして地震の翌々日には,ビル内の店舗が営業を開始するという具合であった.

図2 福岡市中央区から早良区に至る地域の概況  (国土地理院の空中写真に推定警固断層の位置を追記)

2) 玄界島の被害

写真2 地震当日夕刻までに片付けられた路上のガラス片と破損した窓ガラス(上).下は建物全体に防御ネットを張られた地震翌朝の福岡ビル.

  地震の翌朝(3/21),福岡市営渡船で行政・報道関係者と一緒に玄界島に渡る機会に恵まれた.玄界島は博多埠頭から高速艇でわずか30分の距離にある.集落は島の南端の港周辺に偏在密集しており,斜面階段状集落は長崎市の一部地域を思わせるが,住宅の過密度は長崎以上との印象である.木造住家の形態は概して瓦屋根の下に土葺きが施してあり,兵庫県南部地震における淡路島北淡町の被災住宅と酷似している.

 今回の地震では,震源に最も近く地震動は他地域よりも強かったに違いないが,強震記録が得られていないため確実なことは判らない状況にある.木造家屋の被害は,屋根瓦特に棟瓦の崩壊と,階段状の造成法面の崩壊に伴う下段隣家の側方からの圧壊が大部分であって,主として短周期地震動の作用が大きかったと考えられる.一方において,純粋な地震動によって崩壊した木造住宅はごく一部に限られており,鉄筋コンクリート建築の被害は皆無であった.

 そうは云うものの,玄界島の復旧は容易なことではないと考えられ,行政側で特別立法など特段の配慮をしない限り自力による復興は不可能な状態である.長い年月をかけて一段ずつ積み上げてきた漁村集落が一時の地震災害によって崩れ去ったとの印象である.

 幸いにも玄界島では死者は発生しておらず,9名の負傷者は消防ヘリや船で陸地の病院に搬送され,220戸,約700名からなる全島民の島外避難は地震当日のうちに完了している.

写真3 玄界島の被災状況(主な被害は石垣と屋根瓦)

 

写真4 被害の大きかった警固断層東側の墓石・石灯篭等
今泉2長円寺(左上),天神2警固神社(左下),天神3安国寺(右)

 

写真5 被害の小さかった警固断層西側の墓石
大手門3円応寺(左)と唐人町1成道寺(右)

 

写真6 高層マンションの被害状況(中央区今泉2)

 

写真7 高層マンションの被害状況(中央区薬院3)

3) 糸島半島の被害

 糸島半島の北端に位置する宮浦・西浦の両集落も福岡市西区に所属している.玄界島に次いで被害が大きいとのことで,地震の翌々日(3/22)に訪ねてみた.この地域には1898(明治31)年にM6程度の被害地震が発生し,糸島の地震として知られているが,糸島郡で負傷者3名,家屋全壊7棟を出した程度であった.

 地震発生から1日半が経過し,降雨もあったため,被災住家にはすでにビニールシートが架けられていた.地元の対策本部の話では西浦地区の約200世帯のうち70%が被災しているとのことであったが,殆どが屋根瓦の被害であり,玄界島と比較すると被害は軽度であったようである.西浦港北方の崖地に崩壊の危険があるとのことで,一時は周辺の8世帯に避難勧告が出されていた.

4) 福岡市中心部の被害

 福岡市の被害は上記の地域以外にも広範囲に点在しており,特に東区の志賀島から海ノ中道を経由して博多港に至るまでの博多湾岸地域の被害は大きかったようである.今回の調査は地震直後の3日間を徒歩で行ったため,確認できた範囲はごく僅かでしかない.以下の報告は中央区天神から西側の,昭和通りと国体道路に挟まれた区域に関するものである.

 それらの地域を歩いた印象として,古い建物の被害は大名・舞鶴地区に顕著であった.マスコミでも報道されていた一部の鉄筋コンクリートの商業建築や材木店の建物では,倒壊の恐れがあるとの理由で大掛かりな道路規制が敷かれ,多くの一部損傷程度の建物では通常の営業活動が行われており,ややちぐはぐな印象を持った.市内中心部では危険度判定は行われておらず,個々の判断で対応しているようであった.舞鶴地区では一部の新しいビル(銀行や事務所)にもコンクリート壁に亀裂が見られ,建物と地盤との間の相対変形も確認された.

 なぜ大名・舞鶴地区に被害が集中し,大手門より西側で被害がないのか当初は理解できなかったが,後日,図2のように,推定されている警固断層の位置が確認されてみると,被害分布は非常に理解し易くなった.すなわち,今回の地震で警固断層が活動した訳ではないが,この断層によって形成された地下構造と被害程度の間には強い相関があるのではないかと推察された.

 当初は,墓石の転倒状況によって地震動強さの分布状況を確認しようとしたが,市内中心部には境内に墓地を持っている寺院が少なく,充分な統計資料を得ることは困難であった.それでもいくつかの事例から,警固断層より西側では墓石の転倒率は概ね2〜3%程度と極めて低く,同断層の僅か東側(後日の再調査で確認できた)では概ね20〜30%程度と大きな差異が認められた.その後このことを確認するために,警固断層を跨いで余震観測と微動測定を実施することとなり,結果の一部は山中ほか(2005)にすでに報告されている.

5) 高層マンションの問題

  初動調査では全く気がつかなかったが,大名よりも南側の今泉地区に高層マンションの被害が発生しているとの取材記事(アエラ, 2005.5.2-9)があり,確認のため再度現地調査を行った.調査区域は今泉1,2丁目に絞らざるを得なかったが,大きな被害は今泉2丁目のごく一部の地域に限られていた.

 鉄筋コンクリート造14階建ての1つのマンションでは,最上部の14階から12階までの間は非常に軽微な被害(壁にヘアークラックが認められる程度)に止まっており、それ以下の階では下階にゆくに従って,玄関ドア脇の非構造壁のせん断被害が大きくなり,玄関ドアに歪を生じさせるほどであった(写真6).被害が生じたのは建物の長辺方向のみで,その直交方向には被害が発生していない.このような被害について,建築構造家は非構造壁であるから被害はやむを得ないと考えるかも知れないが,居住者にしてみれば簡単に割り切れるものではない.特に,このために玄関ドアが変形拘束され,地震時の緊急避難ができなかったことについて,建築関係者は真摯に受け止める必要があるものと考えられる.

 類似の被害は近隣のマンションでも発生しており,内部に立ち入ることはできなかったが,外部からでも被害の様子は推察できた.これらのマンション群は警固断層のすぐ東側に位置し,前述の転倒率20〜30%と推定した長円寺の墓地はこれらのマンション群と接している.

  警固断層に沿ってさらに南方の薬院地区では,2棟から成る15階建てマンションがエキスパンションジョイント部分で衝突を起こしていた.その結果,重量500kgもある手摺り壁のコンクリート塊を10階から地上の玄関脇に落下させたり,弱い方の棟の非構造部材に亀裂が発生したり,2棟間に相対的な残留変形を残すなどの間接被害を発生させている.  

5.おわりに

 このような被害状況を総合すると,今回の地震による福岡市中心部の地震動強さは,兵庫県南部地震以降に各地で発生したいくつかの被害地震と比較して,さほど大きなものではなかったと考えられる.しかし,ここで注目したごく限られた地域に関しては,局地的に地震動が強かったと考えざるを得ず,警固断層によって形成された地下構造の不連続によって地震動の局地的増幅があったものと推察される.そして,そのために建築物本体の構造被害と同様に,非構造部材の被害も軽視すべきではないとの新たな知見が得られた.中高層オフィスビル外壁からのガラスの落下,非構造壁の破壊による玄関ドアの変形拘束,エキスパンションジョイント部分の衝突など,いずれもが大きな検討課題を含んでいることを再認識すべきではないかと思われる.被災現場では,建築基準法に違反していないことを免罪符とする傾向が随所で見受けられたが,被災者に精神的・経済的ダメージを強いるような建築基準法であるならば早急に改めるべきであろう.なぜならこのような法令は,その時々の技術レベルに応じて,いわば人間の都合(主として建築に携わる側の都合)によって定められたものに過ぎないからである.

 震災からようやく1年を迎えようとしている現時点でもう一度この震災を振り返ってみると,被害の大きかった玄界島の漁村集落では復興計画が完了し,島と本土とに分かれていた仮設住宅での避難生活から1年後には解放されるとのことである.もう一方の震災の象徴と思われる被災マンションの居住者は,非構造部材の被害のために日常生活に重大な支障があったにも拘わらず,建築基準法に違反している訳ではないとの理由から,行政からも建築主や施工業者からも冷たくあしらわれ,復旧工事の折衝に孤軍奮闘を強いられることとなった.折りしも耐震強度偽装事件が昨年11月に発生したことから,多少は話をきちんと聞いてくれるようになったとのマンション被災者の声も最近では聞こえている.

謝辞

 今回の調査にご協力戴いた被災地の多くの方々に心からのお見舞いとお礼を申し上げます.その際に頂戴したご叱正の言葉を肝に銘じて,今後の研究に活かして参りたいと考えているところです.なお,本調査内容は平成17年10月7日開催のCUEE第6回都市地震防災セミナーでも報告させていただきました.

参考文献

西日本新聞:2005.3.21〜(朝・夕刊)
西日本新聞社:特別報道写真集 福岡沖地震,2005.4
坂井浩和:深刻な壁被害なぜ多発,朝日新聞社 AERA, No.24, pp.96-97,2005.5.2-9合併増大号
瀬尾和大:2005年3月20日福岡県西方沖地震の被害について,震災予防,No.203, pp.30-34, 2005.7
山中浩明・元木健太郎・瀬尾和大・川瀬 博:2005年3月20日の福岡県西方沖地震の余震観測速報
      ―警固断層周辺での地震動特性の理解を目指して―,震災予防,No.203, pp.35-36, 2005.7
瀬尾和大:福岡県西方沖地震と非構造部材・設備診断の重要性,BELCA Letter, Vol.13, pp.2-5, 2005.8
日本建築学会:2005年福岡県西方沖地震災害調査報告,2005.9
川瀬 博(研究代表者):福岡県西方沖の地震の強震動と構造物被害の関係に関する調査研究,
      平成17年度科学研究費補助金(特別研究促進費)研究成果,2005.12



Footer