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 ■ 2004年スマトラ沖地震津波のスリランカ南西部における現地調査

人間環境システム専攻(教務職員) 井上修作
土木工学専攻(助教授) Wijeyewickrema, Anil C.
建築学専攻(博士後期課程) 関口徹

 2004年12月26日インドネシアスマトラ島沖でM9の地震が発生し,それによって引き起こされた津波がインド洋ベンガル湾周辺各国に死者・行方不明者合わせて30万名以上の多大なる被害を及ぼした.CUEE調査団は,地震発生から4日後にインドネシアに次ぐ被災国であるスリランカに入国し,津波被害の現地調査を実施した.以下に,その概要を報告する.

 津波が発生した翌日の27日夜にスリランカで現地調査を実施することが決定し,翌28日に調査チームのスケジュール調整と調査準備を行い,29日に出国した.スリランカ渡航期間は2004年12月29日から2005年1月5日の計8日間であった.具体的なスケジュールを日付順に述べると,29日に成田からColombo(スリランカ)へシンガポール経由で移動し,30日にはColombo周辺の海岸で聞きこみ調査を行った後,現地の研究者や協力者と打ち合わせをし,その翌日31日から被害地調査を行った.31日はColombo市からGalle市まで,翌1月1日にGalle市からHambantota市まで被害地調査を行い,その日のうちにColombo市内に戻った.2日は日曜日ということもあり休日とし,3日は新聞紙や地図などを収集すると共に,協力者と打ち合わせを行った.4日に再び現地の研究者や日本から調査に来ていた東北大学の今村教授らと打ち合わせをし,4日の深夜にColomboから成田に同じくシンガポール経由で帰国した.

 被害地域を調査した12月31日から1月1日の2日間の時間経過と調査経路を図1に示す.12月31日はRuhuna大学のGalleキャンパスで一泊を過ごした.調査チームは,日本からの筆者ら3名とスリランカからの2名の計5名で結成された(図2).スリランカからの2名はMoratuwa大学のGunaratna博士とMonoj氏である.運転手とバンをレンタルし,上記の日程すべてをこのメンバーで調査した.

 スリランカでは,海岸沿いに大きな国道が整備されており,この国道に沿って調査を行ったが,津波によって寸断されている箇所や内陸部を経由している箇所では調査を行うことができなかった.図1でSeenigamaとHikkaduwaの調査時刻が前後逆転にしているが,それはその手前で津波によって通行止めとなっていたためである.また,Hambantotaで調査が終わっているのも,南西部を走る国道がHambantotaから内陸部に進入しており海岸沿いの調査が行えなかったというのが理由である.

 津波の被害は広範囲にわたっており,すべてをひとくくりで記述することは難しいが,傾向として被害は南下するに従って大きくなり,陸域数百mの範囲で被害が見られる.しかし,海岸線に沿って,被害状況が一様に見られるということはなく,被害の大小が近隣地域でも見られる.住居の被害は,主にレンガ造や木造家屋などで見られ,これらの住居が津波によって完全に壊されているのを度々目撃したが,同被害地域であっても宗教施設やホテルのようなしっかりした建物は軽微な被害で済んでいるように思われた.また,構造物の被害は,津波の波圧によるものと,津波によって流されてきた浮遊物による被害とに分けられると考えられるが,これらの区別は困難であった.

図1. スリランカ南西部の調査経路と調査時間
図2. 調査メンバー

 鉄道が海岸沿いに整備されているが,線路が完全に流されている箇所がいくつか見られ,また枕木の下の砂利が流されている状況を度々目撃した(図3は津波に巻き込まれた急行列車の被害写真).海岸沿いの幹線道路は,津波によって倒壊した建物や土砂堆積物に覆われたため,寸断されている箇所があったが,道路が崩壊に至っている現場は目撃することがなかった.後日,第2回の調査では,主に東海岸で調査をおこなったが,東海岸では橋や盛土が津波によって流されている箇所があり,その点は南西海岸部と被害状況が異なっていた.構造物の被害もさることながら,津波によって流されてきた土砂堆積物やその他雑多な残骸の除去作業が大変そうであった.

 今回の調査では,目撃者の記憶が新しいうちに,目撃証言を収集することが一つの目的であった.しかし,得られた目撃証言は,必ずしも正確とは言えず,到達時刻にばらつきが見られたが,得られた証言情報を整理すると,以下のような津波像が推察される.

 津波は,最大波高を示す波の前に,一波,ないし二波あったようである.それぞれの周期は大まかには30〜40分程度.第一波は押し波で波高は小さく,その後海岸線が1kmほど沖に引き,その状態が30分ほど続く.大きな第二波が押し寄せ,第一波目と同様に大きく引いた後,最大波高を示す第三波が到来した.最大波高を示す波は,南東部に近いほど,第三波目から第二波目へと移行していく.それぞれの波高は約5,6m程度であったものと推測されるが,これに関しては目測によるものである(図4は津波来襲時の様子).

 おわりに,地震による被害が皆無であったスリランカでさえも津波による被害はすさまじいものがあった.これを考えると,いずれ日本にも来襲するであろう巨大津波の場合は,まず地震による被害が発生し,そこに津波がやってくるという二重の災害に巻き込まれる可能性があり,より深刻な状況になると考えられる.都市震災の軽減を目指す都市地震工学センターとしてもより一層の津波被害の軽減に取り組むべきであると痛切に感じた次第である.


図3. 津波によって急行列車が流され,脱線している様子

図4. (上)筆者らが調査した時の海岸風景
(右)津波来襲時の様子



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