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 ■ 地盤構造物の被害

土木工学専攻 
井澤 淳 竹村次朗 桑野二郎

 筆者らは地震発生から3日後の10月26、27日に現地を訪れ、主に地盤・基礎被害を調査した。地震直後の混乱した状況であったため詳しい調査とはいかなかったが、現地の状況を報告する。

 斜面崩壊 新潟中越地震では、2名の親子の命が失われた妙見堰での斜面崩落や天然ダムを作り出した山古志村の地すべりなど、大規模な斜面崩壊が注目された。写真-1は妙見堰現場の対岸である信濃川左岸から写した崩壊現場である。崩落現場は魚沼丘陵と呼ばれており、上越新幹線妙見トンネル(全長1459m、滝谷トンネルの隣・東京方面側のトンネル)が貫いている。妙見付近は主に砂質シルト岩、灰色泥岩などからなっており、過去には多くの地すべりや斜面崩壊が発生している(昭和39年:矢津地すべり、昭和55年:虫亀地すべり、など)。写真からも分かるとおり、泥岩の岩肌がはっきりと見える。元々亀裂の入った岩盤斜面が風化し、今回の強烈な地震動により一瞬にして崩壊したものと思われる。妙見関の現場には26、27日の両日とも調査に入った。この間、大きな余震(10/27 AM10:40 M6。1)が発生したが、余震による大きな変化は見られなかった。こういった大規模な崩壊ではないが、各地で斜面崩壊現場が見られた。写真-2、3は長岡高専周辺のものである。長岡高専はJR長岡駅の南東約3kmの小高い丘陵地に位置し、200mほど西には悠久山断層が走っている。校舎や学生寮、グランドは切り盛りされた地盤上に完備されている。写真-2は盛土部の法尻付近であり、埋設管に沿って地盤が隆起している。写真-3は道路を挟んで盛土と対面する自然斜面である。このように同程度の地震動を受けたにもかかわらず、自然斜面は持ちこたえている箇所が数多く見られ、盛土斜面の脆弱さが伺えた。また写真-4の様なブロック積み擁壁はほとんどが崩壊していた。

写真-1 妙見堰の斜面崩落現場
写真-2 盛土法尻付近
写真-3 道路を挟んで対面の切土斜面

写真-4 ブロック積み擁壁の崩壊

  液状化被害 中越地震は山間部での地震であったこともあり、大規模な液状化被害は見られなかったが、至る所で小規模な液状化被害は見られた。写真-5、6はそれぞれ越路町河川公園野球場と小千谷市高梨地区田圃での噴砂跡である。写真-7は小千谷市桜町の国道17号バイパス脇のものである。この歩道下には下水管が埋設されており、液状化によって10〜20cmほどの沈下が見られ、1m程度のマンホールの浮き上がりが見られた。このようなマンホールの浮き上がりは数多く見られたが、いずれも埋戻し土の締め固め不足によって、緩い地盤が形成されていたためと推測される。

写真-5 越路町河川公園野球場の墳砂跡

写真-6 小千谷市高梨地区田圃の噴砂跡

写真-7 マンホールの浮上り(小千谷市桜町)

 



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